逃げるという選択肢
逃げるという選択肢がどこにでもある。
学校から、職場から、人間関係から、現実から、何に対してもある。
逃げた、と言えるかわからないが大学での勉学から逃げた私には「逃げたということに対する責任」があとから付いて回ってきている。
就職しかり、親の目しかり、他人の目しかり、
もっと全員ゆるく生きれば逃げるは文字のイメージ通り「逃げる」という楽になる道になるのかもしれないが結局このジャポネ社会では逃げてもまた違う人生の苦労が待っているだけである。
むしろ逃げなかったやつより偏見に晒される分ハードモードのような気もしないでもないが、苦労というのは人それぞれ、比べられるものではないのでそこはノーコメントにしておくべきである。
つまり人間逃げようが逃げまいが生きていれば必ず苦しみが付き纏うのである。
とお釈迦様も言っていました。たしか。たぶん。高校の倫理とかの記憶だけど。
という逃げれば楽になるよなーコイツ逃げやがってと思って対応してくるヤツへの当てつけです。
誰だって苦労はするんだよ。種類が違うだけで。
生きるのがしんどくて頑張るの休み休みでも、お互いゆるく赦しあって生きたいね。
おしまい。