片付けが苦手
ものを出したらしまうという習慣がつかない。
まあそれはそれで蓋のない箱にポイポイ入れればいいというお話なのでもういいのだ。
部屋の整理整頓はもっと苦手だ。なんとか収まっている細々したもの紙と紙と紙と紙、そして紙を引っ張り出してまたどこかにしまうかすてるかしないといけないからだ。
この消費中心の世の中、もったいない精神を強調されてばかりだと正気の人間は自家中毒をおこし、狂気の人間は気にせず更に消費をはやめるという結果になる。
ちなみに正気とは私側だから狂気が狂気に見えるのであって、向こうからすれば手書きの文字の入ったお小遣いの封筒だけを10年以上いつまでもとっておく私の方が狂気にみえるだろう。
ゴミではないのに捨てねばならないのは自責できがくるいそうになる。
なんとかゴミではないものをゴミとしていくつか捨てたのだが、ものと人に申し訳ない気持ちになってくたびれる。
人が1日にできる選択決断の数は決まっているというが、一日中ゲームをやって平気な人間なのだから決断数は多い類なのではと思っている。
だからきっと片付けの中で、決断の数の多いことよりゴミでないものをゴミとして捨てることに対する消耗が大きい気がする。
せっかくすぐなんでも忘れられるんだからすてるときの自責の念も消してサイコパスのように生きたいと思うのであった。
おしまい。